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「8年目の3.11 その②」

2019年03月06日

震災発生時、家内は山梨県北杜市須玉町の実家にいた。

震源が宮城県沖の地震にもかかわらず山梨県でもかなり揺れたらしく、

富士山が噴火したのか?とまで想像したとの事。

急遽山形に戻ることにしたが、まともな交通手段が見つからない。

そこで一旦山梨から埼玉県の大宮駅に出て、動いている上越新幹線で新潟市まで行き、

新潟駅前から高速バスでの山形入りを考えた。

 

新潟駅のバス停でいつ来るかもよく分からないバスを待っている間、

一緒に並んでいた男性2名と自然と震災の話になった。

二人は石巻在住の遠洋漁業の漁師さんだった。

海の上で震災を知り、石巻が甚大な被害を受けているとの報道に家族と連絡を取りたいのだが、

未だに連絡が取れない。とにかく石巻の家にたどり着くしかないのだが、

バスで今晩山形に着いても泊まるところがない。

「家族は津波でもうだめかもしれない。」と言って涙を流していた。

当時娘が仙台駅前でホテルのフロント業務をしていたので家内が連絡を取り、

「今晩山形で泊まるところ何とかならないか?」を問い合わせた結果、

運良く山形駅近くの同系列のホテルのダブル1部屋を確保出来た。

山形に着いた高速バスには私が迎えに行き2人をホテルまで送り届けたが、

今晩は休みを取り明朝何とかタクシーを借り切って、石巻の自宅に向かうとの事だった。

家族の安否が分からない状態のなか、眠れない夜を過ごしたのではないだろうか。

私の方でも石巻の住所を聞いたが、鹿妻北という地域で、

地図で調べてみると津波が到達していると思われる地域であった。

 

数日後、2人から電話があり、タクシーで無事石巻に着き家族と対面出来た事がわかった。

津波は確かに自宅まで来ていたが1階が水没する程度で、家族は近くの高台に逃げて無事だったとの事。

 

その後おいしいお魚が沢山送られてきた。

そして数ヵ月後、石巻に行った際にご自宅にお邪魔させていただいたが、

皆さんお元気で家も改装工事中だった。

震災を通して生まれた、ささやかな縁である。

                                       早坂 智