シリーズ日建商事 雑感』 その2
家族には何もしてやれなかった。
子育ては妻に任せっぱなしのまま通すほか道はなかったのである。
経済的にも心情的にもそんな余裕は持てず、仕事一筋の毎日だった。
休日もなく夜中まで働いたのであった。
開業する前に、メーカーに話を付けなければならない。
印刷所に勤めている知人に頼んで名刺を5枚作ってもらい、夜行列車で12時間かけて東京へ。
島野商事、丸井産業、等の行く先々で快く「商品は続けるから頑張ってやれ」
「支払は当分面倒見るから」と励まされたが、請求書は間違いなく来るのであった。
払わない訳にはいかず、もの売りではいき詰まりが早い。
色々考え、手間賃を稼ぐことにし、ドライブイットとアンカーの施工をすることに重点を置いた。
しかし、その当時コンクリートの建造物は、年に1,2ヵ所ぐらいで
全て大手の鹿島、大成、清水、大林等の会社で施工しており、
地元の業者は木造建築しか手掛けていなかった。
大手の現場事務所が建つと、いち早く顔を出し施工依頼をした。
現場担当者も地方で施工する人間がいることに大変喜んでいただき、仕事も流してくれたのである。
皮切りの施工はアンカー施工であった。
未だに現存しているが、山形市の霞城公園内にある県立体育館の観客席の椅子を固定するアンカー施工である。
ゼネコンは鹿島建設。椅子の納入業者は天童木工であった。
鹿島建設へ交渉してもなかなか相手にして貰えなかったが、県の仕事でもあるし、
何としても施工を手掛けたかった。
(続く)
*創業当初の日建商事の場所です。現在も建物は残っています。
ここから、日建商事はスタートしました。
更新日:2014.5.15