『シリーズ日建商事 雑感』 その11
午前中、コンクリートの粉まみれになってのアンカー施工やドライブイット施工が毎日続いた。
昼帰って来て風呂に入り、午後は歩いて営業に廻った。
次第にお客様も増えて来て注文されると担いで配達をしていたが、
中古の自転車を手に入れたのは半年程経過してからだった。
懸命な私の姿を見て、その当時の経営者たちは感心していたらしい。
10年後にもなると、いろんな方々から「あの当時はよく頑張ったなあ。」と言われる事が多い。
そんな風に見ていて下さったのかと思うと大変嬉しく感謝の念は尽きない。
夕方から何もしないのはもったいないと考え、思い切って山形唯一の百貨店だった大沼デパートへ掛け合い、
妻に日中カーテンのミシン掛けをしてもらい夜取り付けの仕事を貰って始めたのである。
妻もカーテン製作は初めての事なので、指定通りミシンを買い入れ仙台へ3日間
習いに行ってから始めたのだが、これがしばらく続いた。
妻には本当に協力してもらった。どんな事をしても返しきれるものではない。
創業間もない頃は、子供を背に婦人用品まで歩いて売って金を作った。
これが団地などではだんだん待っていてくれる方まで出て来たと笑っていた。
なかなか勇気のいる行商である。
私も「おしめの洗濯物を干している家へ行け。」とアドバイスはしていたが、
徐々に販売量が多くなって利益もあり、結構助かったのも事実である。
ただこれは、あまり長い期間はさせられないので2年位で辞めた。
しかし、妻にはこの様なことまでさせてしまったが、その覚悟と協力には、今でも頭があがらない。
( 続 く )
更新日:2014.6.24