『シリーズ日建商事 雑感』 その16
事務所も手狭になり、近くの花楯1丁目8-21に移転した。
大家は長谷川さんというおじいさん。残念ながら10年前にこの世を去っている。
また山形市新開の斉藤さんの工場を借りて、今度はオールアンカーの製造もすることにした。
事前準備として、まず担当者を流山工場へ半年間研修にやることなり、
二十歳になったばかりの斉藤 良一君が入社したので、彼を技術マスターの為に派遣することにした。
その後機械を入れ、アンカー本体の穴あけと十字のミーリング加工の2工程の作業を開始した。
1本いくらの工賃稼ぎだったが、不良品も出たり、なかなか材料も思う様に廻して貰えなかった。
後で聞いた事だが、心配で多くは作らせることが出来なかったようだ。
作業員も6名程居たが給料分すら稼げず、結局2年で機械を引き取ってもらい、工賃稼ぎは中止とした。
長年継続していれば大損する羽目になるところであり、早めに見切りをつけた決断は正しかったと思う。
工場にいた斉藤君と柴崎君を営業に加え、余計な事には手を出さず販売一本で現在に至っている。
( 続 く )
更新日:2014.7.9