震災直後、避難所になった山形市のスポーツセンターの体育館は、
福島県からの避難者であふれかえっていた。
着の身着のままで逃げてきたような人、連れては来たが体育館の中には入れず、
寒い屋外に繋いだままのペット。
詳しい情報を知りたがっている人が大勢いたのか、
自主的に体育館の入り口付近のテーブルに置かれた新聞は、
どんなものも少なくなっていた。
南相馬市から非難してきたEさん御夫妻とは、そんな状況の避難所で知り合った。
正確なことは何も知らされず、とにかく逃げろとの情報で逃げて来た方である。
段ボールで仕切られたプライベートなスペースに招かれ、
被災者へ配給されたカレーうどんを一緒にご馳走になったこともあったが、その味は忘れられない。
只こんな場所で毎晩眠るのは、正直大変だろうと思った。
夜寝てからも津波に襲われた恐怖で奇声をあげたり、うなされる方が大勢いるらしい。
またけんかになったりすることもあるとの事。
きれいごとでは済まない避難所暮らしの実態が垣間見えた。
その後Eさん御夫妻は南相馬に戻り仕事に復帰しているが、
震災後山形に定住した息子さんに会いに来る時など、
何度か再会し当時のことや互いの近況を語りあっている。
早坂 智
更新日:2019.3.6